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京都にて③ 晴明神社の★
京都シリーズも第3回です。小雨ふる京都の朝、晴明神社を参拝しました。長男が産まれた際、遠隔で祈願をお受けいただきました。その際の案内には方位の吉凶が付されており、珍しい記述を喜んだことを思い出します。
晴明神社のホームページをみると、ご由緒は「安倍晴明御霊神」。創建は寛弘4(1007)年、一条天皇の命で晴明公の屋敷跡に社殿を設けた、とのこと。御利益は「魔除け・厄除け」。天文学をおさめた陰陽博士であった晴明公の力によって、災いを防ぎ、病気を治すことを祈願する社として多くの参拝者があります。
陰陽道を調べると、安倍晴明を祖とすること、天文や暦学に基づいた占術や呪術のこと、土御門家に引き継がれ近世まで存在したことがわかります。また、中国から伝来した陰陽五行説が、平安時代の日本において陰陽道として成立したことは、遣唐使が廃止されたことで概念の京都化(日本化)が進んだといえるかもしれません。当時の京都には、陰陽五行が生活に活かされていたといえます。中国では、古代の長安をみたければ、現代の京都に行けというとかいわないとか…
陰陽五行説は古くから政治や医学に用いられていますが、現代においても鍼灸師養成教育で学び、当院の診察治療にも活かされています。木火土金水の五行は、古くは土を中央に配した五行(東西南北と中央の関係)であったものが、土を相対化することで五行の各性質の関係性(相生相剋)が完成し、五角形に描かれることになります。
大河ドラマで話題の平安時代。妻と娘たちは御所で春の特別公開「京都御所 宮廷文化の紹介」をみてきたようです。実にうらやましい。平安の名にこめられた思いとは裏腹に、激動と変遷の400年。当時の人々は病むことにどう向きあったのか。安倍晴明と同時期に鍼博士の丹波康頼がおります。日本最古の医学書『医心方』の編者です。隋唐の医書から引用された条文ですが、中国に現存しない古い記述が保存されている貴重な書物(国宝)です。本書にも鬼や呪いなど現代では考えられないような治療について述べられています。人は神仏に祈るだけでなく、陰陽道のような具体化された行為が必要だったのかもしれませんし、矛盾するようですが「みえない力」を具体化する、こうした方位・術式は病が流行るたびに重視されたのだろうと思います。
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